わかなってだれ?

普通の主婦が大宅で稼げるようになるまで

はじめまして。wakana(わかな)と申します。

 

私は現在3人の男の子を育てながら

小学校PTAでは長のつく役員もしつつ、家で仕事をしています。

1番下の子供は保育園に通っています。

 

子供が小学生になると正社員や契約社員で働きながら、

多くて週2会議のあるPTAの本会役員を務めている、要領のいい方はたくさんいらっしゃいます。

 

しかし、残念ながら私はテキパキと仕事をこなせるタイプではありません。

 

のんびりしていて、外では実は1.2倍速くらいで動いています。

会議の資料作成も、他の人よりもたくさんの時間をかけてしまっている自信があります。

 

そんな私がなんとか役員を続けてられているのは、在宅で仕事をして時間を作れるから。

私がなぜ、在宅で仕事をしようと思ったのかは、すべて子供のためです。

 

 

それでは、子供のために在宅でお仕事を始めた経緯についてお話しますね。

ちょっとでも興味があれば、お付き合いください。

 

普通のワンオペ主婦でした

自己紹介

私がこの土地にやってきたのは、旦那の転勤で。

なので、完全に頼る人のいないワンオペ育児でした。

 

当時2人兄弟で、元気な男の子の育児にいっぱいいっぱい。

2番目の子が幼稚園に入ったのを機に、パートを始めることにしました。

 

できるだけ幼稚園の行事や役員会議(幼稚園でも役員経験アリ)に出られるよう

突然のお休みにも融通が利いて、日曜はお休み、家から近い…

という条件で、なんとかパートを見つけました。

 

それは、ヤ○ルトのパートです。

 

条件はすごくいいのですが

夏は暑くて焼けるし冬は寒いし、商品は重いしで

できたら屋内でお仕事がしたいと思うようになりました。

 

これくらい我慢しないと、と自分に言い聞かせながら続けているうちに、

3人目を妊娠し、あまりにつわりがひどかったためパートを辞めました。
(パートなので育児休暇はありません)

 

3番目の子が2歳のとき、保育園に空きがあったため、

未満児で預け、私は今度は屋内のパートで働き始めました。

 

本当はお兄ちゃんたちが卒業した幼稚園に三男も入れたかったのですが、

小学生の子供を抱え、保育園に預けてもっと働かなくては家計が回っていかなかったからです。

 

保育園に入園し、一生懸命働こうと思ったものの

三男は体が弱く、月1は必ず、そして月曜日に体調が悪くなってしまいます。

 

突然月曜日に休むと、職場に電話することが続き

その後2~3日は休みをもらっていました。

 

その原因と思われるのが、お兄さんたちが始めたスポーツ少年団。

 

スポ少は、乗り合いではなく、

親が土日に練習や試合・遠征に連れて行くことも多かったため

結果的に連れまわしてしまい、必ずと言っていいほど月曜日から休むことになりました。

(そのため、月曜日は事前にお休みをもらうシフトにしていました)

 

 

一緒に働いている方には迷惑をかけ、本当に申し訳なかったと思っていますが、

どちらの両親も遠方で頼ることが出来ず、

当時の旦那は部署が変わったばかりで、引継ぎをしながら引継ぎを受けるという

いっぱいいっぱいの状態で、協力は得られません。

 

そのため、平日に会社を休めるのは私しかいませんでした。

 

 

2回目のパートも融通の利くところを選んだのですが、

やはり月曜日に突然休みが続くとズル休みを疑われ

仕事もなかなか覚えられなかったため、居心地の悪さを肌で感じました。

 

当時のパートグループのリーダーは、私をターゲットにして無視しました。

リーダーのミスを私のせいにされたことも、陰口を聞いたこともあります。

 

私は社会経験が少なかったし、初めての経験だったので、かなり落ち込んでしまいました。

 

 

いつからか、その人を見ると不安で緊張してしまい、

リーダーと仕事で話さなくてはいけないときも

うまくしゃべることができなくなってしまいました。

 

また、周りの人からも仕事ができないと思われているんじゃないかと不安になり

「すみません」が口癖で、自分に自信がなくなって、人が怖くなってしまいました。

 

もっと職場の人たちと仲良くできたらと思う一方で

陰口を言われたくない、無視されたくないという思いから、すぐにでも辞めたいと思っていました。

 

このまま嫌な思いを抱えつつ働き続けるなんて考えられません。

それに、長年働いてきたパートさんと新人の私がほとんど同じお給料で

このままお給料が上がっていく見込みがありませんでした。

 

パートをしているのに、お金の不安が解消されることはないと思うと

将来の教育費を考えて不安は増すばかりでした。

 

 

だからといって

新しくパートを始めてまた新しい仕事を覚え、新しい人間関係が始まって…

という生活に踏み出す勇気はありませんでした。

 

普通の主婦がパート辞めることを決めた

できる

三男が調子を崩して家にいる時は

起こさないよう静かに掃除くらいしかすることがありませんでした。

 

当たり前ですが働いていないため、お給料が入ることはありません。

兄弟で感染症にかかったときは、お給料が半分近く減ってしまったことも。

 

お給料が減って残念な気持ちもありましたが、

嫌な仕事に行かなくてもいいという、どこかほっとした気持ちもありました。

大分病んでいますね。。。

 

 

できれば家にいて何かお金になることがあれば…と思って

ネットを見ているときに、ポイントサイトやアンケートに挑戦しましたが

結局なかなか貯まらないので辞めまてしまいました。

 

それではお金の足しにならないので、他の仕事を…と思っているときに

今の仕事を教えてくれる、私に似た境遇の主婦の方(メンター)に出会いました。

 

家にいながらお金を稼ぐことができるなんて、夢のような話でした。

 

稼いでいる金額もすごかったのですが、

その時の私にはパートに行かなくていい生活で

パートと同じくらいのお金がもらえると想像するだけで十分幸せ。

 

私もパートを辞めたい

 

そう思った私は1日も早くパートを辞めるために

副業としてネットビジネスを始めました。

ネットビジネスを始めてからは

朝は4時や5時に起きて副業のネットビジネス。

 

慌ただしくお弁当を作って、旦那や子供を見送り、保育園の準備。

嫌がる三男と涙のお別れをして、パートに行っていました。

 

帰ってきてからは、ご飯の用意をしつつ、スポ少の送り迎え。

他の父兄さんは終了時間の30分前には来ていて話をしながら見ていました。

 

片付けまでして帰宅は20時。

そこから夕飯を食べて、お風呂に寝かしつけ。

 

夕飯や家の片付けもほどほどに、一緒に寝かしつけられてしまう日々で

なかなかネットビジネスに充てられる時間はありませんでした。

 

 

この生活リズムに慣れてきたとはいえ

パートやスポ少の時は、周りに気を遣いっぱなし。

 

常に不安で緊張してしまうため、疲れ果て、

何でもないのにポロポロ涙が出てきたことも少なくありません。

この時の私は、精神的に参ってしまっていました。

 

若く結婚して、知り合いのいない土地に来て、私の楽しみは子供の成長でした。

一緒に笑って、いっぱい話して…この先もずっとそうなると思っていました。

 

 

でも現実は、時間に追われ、ピリピリして、子供の話は全て「あとでね」。

もちろん、その「あとで」が来ることはありません。

 

イライラしているお母さんに、子供は話しかけてこなくなりました。

私も心の余裕がなく、それでもいいと思っていました。

 

そして、子供が寝てしまった後やパートの通勤中に後悔するんです。

こんなはずじゃなかった…って。

 

 

今思うと、当時の私が1番気にしていたのは

子供や旦那のことではなく、他人の人の目だったのかもしれません。

 

人からどう思われているか気になり、結局は自分のことしか考えていませんでした。

 

これは、私が実の母に愚痴をこぼしたときに、母に言われて気が付きました。

逆に言うと、人から言われなければ気が付かなかったんですね。

 

 

このままでは私が壊れてしまうと思い、子供にはスポ少を辞めてもらいました。

しかし、生活が慌ただしかった反動で

私は何事にもやる気が起きず、パソコンにも触らなくて、辞めてしまいました。

 

一度諦めたネットビジネスの再開

ネットビジネスは諦めて、地道にパートで生きると思ったのもつかの間。

 

パートの新人さんが、若くて仕事を覚えるのが早く

リーダーにも気に入られて、私の居場所がなくなってしまいました。

 

最初はパートを続けて安定した収入を得ながら、

いつか副業の成果が出たらパートを辞める計画でしたが

 

いつかはいつになるのか?

 

ダラダラ続けて、成果が出るのが1年後だったら

私はあと1年もパートを続けなければなりません。

 

そんなとこをしている間に、また挫折してしまったら

今度こそこの生活からは抜け出せません。

 

扶養内でパートを続けていくのは

職場での人間関係や自分の欲しいものを

我慢をしながら生きていく生活が見えていました。

 

 

だからといって、フルタイムで働いて

何かあったときにサポートしてくれる両親は近くに住んでいません。

 

今以上にバタバタして、職場に迷惑をかけるのが目に見えています。

それに要領の悪い私には、子供との時間を両立できるとは思えませんでした。

 

 

そんなとき、ブログを更新しなくても

毎日コツコツを収益が積みあがっていることを知りました。

 

これは、本気でやれば稼げるんじゃないの?

 

家にいながらパソコン1台で収入を得ている生活をしている主婦がいるなんて

いったいどのくらいの人が知っていることでしょう?

 

知らない人の方が多いこの世の中で、私は偶然にもその存在を知り、

自分も“パソコンで稼いでいる主婦”になることができるかもしれないんです。

 

本来なら、家で稼ぐ内職よりも外に出て働く方がお給料がいいなんて

常識だって言われるかもしれません。

 

 

たとえ、ほんの一握りだとしても

実際に家にいながらパソコン1台で収入を得ている主婦がいるのなら

私もできる限りの努力をして、その仲間に入りたいと思ったのです。

 

 

それがうまくいって、パート以上の収入があったら…

と考えるだけでわくわくしました。

 

将来のことは、まだ考える余裕はそこまでありませんでしたが

ここで努力することが、必ず自分の将来を明るくすると信じていました。

 

 

私の中では、かなり勝算のある話だったのですが

このことは正直旦那には相談できませんでした。

 

そのため、旦那にはパートを辞めるけれど

3か月だけ挑戦したいことがあるので待ってほしいと伝えました。

 

 

こうして私は再び副業に取り組みました。

パートを辞めていたので、本業ですよね。

 

私はとにかく3か月で成果を出すつもりで、頑張りました。

 

やらないとお給料が0になってしまうので

必死でやらなくてはならない状況でした。

 

 

最初はブログに1日2記事を目標に

多い時は4記事くらい投稿していきました。

 

大変ではありましたが

記事を投稿すると達成感があるし、自分のペースで仕事ができます。

 

人の顔色や空気を読む緊張がないだけでも

ものすごく楽になったのを覚えています。

 

 

ただ、少し前からやっていたとはいえ

まだまだ記事の投稿に時間がかかっていたため、

パートで働いていた時よりも、仕事の時間を増やして取り組みました。

 

 

ある時、パソコンの画面を開いたとき

1日で収益1万円を超える日があり、嘘みたい!と思いました。

パートでの日給は約5000円でしたので、一気に倍の日収です。

 

それがたまたま、

家の用事で仕事をしていない日だったので、本当にびっくりしました。

そして、パソコンを更新するたびに金額が上がるので、嬉しくて何度も更新してしまいました。

 

収益は毎月右肩上がりで、8万台で2か月そのままでしたが

パートを本気でやり始めて半年、目標だった10万円を達成しました。

 

10万円は、私がパートでできるだけ出勤したときの

パートの最高額のお給料よりも多い金額でした。

 

人間関係に悩まされ、自分に自信がなくボロボロになってまで

1か月働いた金額を、家にいながらにして超えることが出来たのです。

 

 

もう三男は保育園が大好きで

体も強くなり休むことは少なくなりましたが、

いきなり体調を崩しても誰にも気を遣うことなく

私の判断だけで保育園を休ませることが出来ます。

 

 

人が怖いとさえ思っていた私ですが

もう上からモノをいう上司はいません。

 

自分の力で稼いでいる自信がつき

自分の苦手な人とは付き合うことはなくなりました。

 

そのため、人前に出て

以前ほど緊張することはなくなりました。

 

旦那にカミングアウトしてから、旦那は応援してくれるようになりました。

 

一度は挫折してしまいましたが、そこで諦めなかったおかげで、

仕事の人間関係に悩み委縮しきっていた私から

昼間にPTAの資料を作るくらい、時間に余裕を持った生活ができるようになりました。

 

もちろん、イライラ・ピリピリすることはなくなり、家族との笑顔の時間も増えました。

 

ただ、ちょっとでも多くのお金と、ちょっとでも多くの幸せを掴みたい。

ちょっとだけ自分の時間が欲しい。

 

ちょっとだけわがままに生きられるよう

同じような悩みを持つ方のお手伝いができたらと考えています。

 

これからもよろしくお願いします。

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